diary 2017.7.

diary 2017.8.


2017.7.21 (Fri.)

僕にはずっと、どうしても行ってみたい場所があった。それで暇をみてはあれこれ計画を練っていたのだが、
どうやらすべてが僕の目論見どおりに動けるらしいことがわかり、それでこの夏休みに決断したのである。
日本一距離の長い路線バス「八木新宮バス」に乗って十津川村に行こう! そして玉置神社にも行こう!……と。

まずその「八木新宮バス」について軽く説明を。その名のとおり橿原市の近鉄八木駅から新宮市までを結んでいるが、
全長166.9km、停留所の数は167、途中で3回の休憩を挟みながらの行程は約6時間半かかるという路線バスなのだ。
(前に大和高田でこのバスが行き違うのを見かけたことがあった。あのバスについに乗るのだ! →2015.9.20
しかしさすがにずっとバスの中で過ごすのはもったいない。この路線バスが縦断する十津川村といえば、
伝説の十津川郷士で知られる村である(北海道の新十津川町へ行ったときのログはこちら →2012.8.21)。
壬申の乱から明治維新まで一貫して朝廷側につき税を免除されてきた独立勢力の村。しかも紀伊山地のど真ん中で、
北方領土を除けば日本で最大の面積を誇る村だ。琵琶湖よりも東京23区よりも広いのだ。いったいどんな場所なのか。
うれしいことに、十津川村は温泉がいくつかあって、それなりにリーズナブルに宿泊ができる。行くしかないでしょう。
すべての都道府県を制覇してだいたいの街は感覚的につかんでいる僕にとって、これは久々に完全なる未知な土地だ。
高鳴る気持ちをどうにか抑えつつ夜行バスに乗り込むと、朝7時前の曇り空の下、大和八木駅前に転がり落ちた。

 おはようございます。

大和八木駅は近鉄の一大ターミナルであるくせに、落ち着いて時間調整できるカフェがないのが最大の欠点である。
近くのコンビニで朝食と非常食(今回これ重要)を買い込むと、バス乗り場のベンチで栄養補給してしばらく過ごす。
困ったことに、八木駅の奈良交通案内所は9時にならないと開かないのだ。晴れてりゃ橿原市役所を撮ったんだけど。

9時になるとほぼ同時に案内所へ行って「168バスハイク乗車券」を購入。2日間有効で片道の乗り降りが自由という、
八木新宮バスに乗るには間違いなくマストアイテムとなる乗車券だが、出てきたのは恐ろしく質素な紙切れだった。
ただ名前が印刷してあるくらいで、油断したら簡単になくしてしまいそうだ。もうちょっとなんとかならんものか。

 何はともあれ、新宮に向けて出発である。

八木新宮バスは一日3本。9時15分に八木駅を出発する第1便に乗り込むと、10時31分に五条駅で下車。
1時間ちょっとでいきなり下車かよ!とツッコミが入りそうだがしょうがない。五條は見所の多い街なんですよ。
(五條市は「五條」の表記だが、JRの駅は「五条」という表記。面倒くさいけどいちおう使い分けています。)
五条駅は市街地から少し離れた高台にある。バスを降りるとさっそく観光案内所でレンタサイクルを申し込み、
いざ出発である。次のバスは13時6分発なので、2時間半ほどしか観光できる時間がない。かなりキツキツだ。

  
L: 五条駅から市街地へ向かって下っていく。郵便局の奥にはイオンがあって、バスセンターが併設されているのだ。
C: 国道24号、五條の市街地を行く。これは晴れてきた帰り、東側の写真だな。この辺りはわりと新しい商店街。
R: 同じく国道24号の西側。右側(北)は拡張工事をしている模様。以前は家がノコギリ状に道路に面していたようだ。

五條で最初に訪れたのは、栄山寺だ。梵鐘と八角堂という2点の国宝があるほか、重要文化財も何点かある。
吉野川(紀の川を奈良県内では吉野川と呼ぶ)の上流側に沿って奥まった位置だが、レンタサイクルだとすぐである。

  
L: 国宝の梵鐘。フツーに吊り下げられているのがすごい。917(延喜17)年の作で、小野道風の書を刻んである。
C: 石塔婆(石造七重塔)。これもフツーに置いてある重要文化財。  R: 静かにたたずむ塔ノ堂(大日堂)。

早朝はあまり天気がよくなかったのか、うっすら湿っぽさが残っている。でもそれがいかにも歴史を感じさせる。
栄山寺は藤原南家の菩提寺だそうだが、境内は木々がよく茂っていて貴族の邸宅っぽいプライヴェイトな雰囲気だ。

  
L: 境内をさらに奥へと進む。緑が多くて全体的に閉じた雰囲気。貴族の邸宅を仏教の価値観でアレンジした感触が漂う。
C: 1553(天文22)年築の本堂。手前の石灯籠は重要文化財。  R: 本堂に上がってみた。木材の古び方が美しい。

本堂の中にもお邪魔してお参りすると、さらに境内の奥にある八角堂へ。敷地に余裕がまったくなくてきれいに撮れない。
それでも意地でどうにかカメラに収めると、もう一度ぐるっとまわったり近づいたりして奈良時代の感触を大いに味わう。

  
L: 正面からだと木々が邪魔でよく見えない。近づいて見上げる形になってしまう。  C: 背面は見やすいのだが。
R: 柵にいたカマキリと戦うの巻。カマキリと同レヴェルでやりあう私。蟷螂の斧ということで引き分けで終わった。

栄山寺を後にすると、今度はまったく反対側の市街地へ向かう。重要伝統的建造物保存地区・五條新町があるからだ。
国道どうしが交わる本陣の交差点には古い道標があり、それを合図に南下するとさっそく見事な木造建築が現れる。

 五條は伊勢と高野山を結ぶ線上にある。この道標、文字を掘り抜いているのが面白い。

というわけで、まずは五條新町の入口にある建築から。通りの東側はナカコ将油で、向かいの西側にある住宅もすごい。
現役の個人住宅なので詳しい説明はなかったのだろうが、のっけから大迫力ですっかり圧倒されてしまった。

  
L: ナカコ将油。こちらの蔵造りの店舗が五條新町の入口向かいにどっしりと構えている。
C: 現役の個人住宅と思われる。  R: 近くの栗山家住宅。入口にまずこれらの建物があって圧倒された。

正確に言うと五條新町は東の「五條」と西の「新町」に分かれているが、伝統的な建築が一体的に長く連続している。
もともとは五條が先で、後に松倉重政が入った二見城の城下町として新町ができ、それがつながったとのこと。
通りは近代以前の幅のまま、国道に並行して1km弱もの長さをまっすぐ延びている。なんとも壮観なものである。

  
L: 山本本家。こちらの「神代杉」は後で十津川村で頂戴した(十津川は米が穫れないので五條で酒をつくっているようだ)。
C: 五條新町、五條の街並み。これは見事である。  R: 途中にある庭を覗き込んだ。おしゃれだなあと思う。

途中、新町松倉公園というポケットパークがあったので、そこから吉野川に出てみる。そうして堤防から街を見返すと、
実はそれぞれの建物が独特な2階建て構造になっているのがわかる。堤防に面する側にはガレージなどの1階があって、
通りに面しているのは2階レヴェルなのだ。まあそれはもちろん、現在の堤防ができてからの増築であるのだが。
では堤防ができる以前はどうなっていたかというと、新町松倉公園周辺を中心に、今もわずかに石垣が残っている。
本当にわずかで露わになっている部分は非常に少ないが、これらと表の街並みとで往時の姿を想像してみる。

  
L: 新町松倉公園。新町ができるきっかけとなった松倉重政の碑がある。ベンチが申し訳程度にある残念な設計。
C: 吉野川の堤防上から眺める新町(中央が新町松倉公園)。現在はかつての石垣をつぶして住宅が張り出している。
R: しかしよく見れば、今もわずかに往時の石垣が残っている。この石垣こそ、かつての街の姿を示す証拠なのだ。

さらに西へと歩を進めてみる。感触としては、こちらの方が新しい建物が多そうに思える。住宅らしい住宅も多い。
しかしその分、観光客相手に店舗として元気に営業している店もしっかりと点在している。なかなかやる気を感じる。

  
L: 新町橋を渡る。この辺りはまっすぐな道に伝統建築と住宅が入り混じる。  C: 長い通りだが歩きがいはある。
R: 新町の終端近く。この先にある坂を行くと最終的には国道24号に合流。昔ながらの雰囲気がよく残った街だった。

さて、この五條新町の街並みにはかなり異質なものがしっかりと横たわっているので、それについてふれておく。
近代以前の雰囲気をよく残す通りの中を、かなり強烈な存在感でコンクリートの橋がドカンと横切っているのだ。
こいつの正体は五新鉄道の高架。五新鉄道とはその名のとおり五條と新宮を結ぶ鉄道として計画された路線で、
つまりは「八木新宮バス」を鉄道でやろうとしていたわけだが、案の定採算が見込めずに未成線で終わった。
とはいえ五條から城戸(西吉野)までは線路が引ける状態ができていたので、かつてはBRT的にバスが走っていた。
しかし結局それも2014年に運行が終了。それでも地元ではこの夢の跡をわりとあたたかく見ているようで、
橋脚には「幻の五新鉄道」という説明板が貼り付いていた。古い街並みと妙にマッチした光景は独特の魅力がある。

 五條新町の真ん中に横たわる五新鉄道の高架。和風スチームパンクの香りというか。

街並みを存分に楽しむと、国道24号に戻ってその北側にある五條市役所へ。これがまた古き良き役場建築なのだった。
敷地の南側を駐車場として開放し、コンパクトな直方体としてスッキリ立っている。壁面の時計が高度経済成長っぽい。
そしてよく見ると東側には鉄骨が錆びきっているが、ミース風のサッシュによる展望階がくっついている。これは面白い。

  
L: 五條市役所。敷地の南西端が入口となっている。  C: そのまま本庁舎を眺める。  R: 正面から見たところ。

五條市役所の竣工は1961年とのことだが、増築を繰り返して実際にはかなり複雑な形をしている。
まず本庁舎は北側(つまり裏側)に増築部があり、さらに駐車場を囲むように東側にも増築がなされている。
いちばん古い南側部分は意地できれいにしてあるが、この増築部分もよく見るとかなり老朽化が激しい。

  
L: 東側の増築部。  C: 反対側(敷地外)から見た東側部分。  R: 背面。北側も増築しているのだ。

南側の建物はシンプルで美しく、1960年代初頭の典型的な市庁舎モデルケースであると感じる。
しかしさすがにこのままで済むわけもなく、建て替えの計画が進んでいる状況である。個人的には残念だなあ……。

  
L: 北側の増築部。ぐるっとまわり込んで北西側から見たところ。  C: 南北ジョイント部。なかなか豪快である。
R: 南側の側面。五條市は庁舎南側を「顔」と意識していたのか、増築部より古い部分の方をきれいにしている。

新しい庁舎は五条駅の真西にある五條高校の跡地に建てられることが決まっており、2021年度に運用開始予定。
なおこの新庁舎には、国の施設であるハローワークと、県の機関である保健所・土木事務所などが入ることが、
後日報じられた。それによって建設費も面積に応じ、市と県で7:3の比率で分担することになっているそうだ。

  
L: 本庁舎の展望階部分をクローズアップ。こういうものがくっついている事例はほかに見たことがないような。
C: 玄関脇に五條市のゆるキャラ・ゴーちゃんの像。合併した旧西吉野村・旧大塔村のマスコットとユニットを組んでいる。
R: 中に入るとこんな感じ。つまり東側の増築部に直接入る構造なのだ。主要な機能はほぼ東側にあるようだ。

素敵な国宝、素敵な街並み、素敵な市役所を見てホクホクしながら来た道を戻り、昼飯を済ませてイオンでお買い物。
ここで水分のほか、今夜の晩メシを買い込んでおくのだ。隣のバスセンターを「どうせ後で来るけど」と尻目に、
満足のいく買い物を済ませると坂道を上がって五条駅まで戻る。自転車を返却してしばらくするとバスが到着。
「168バスハイク乗車券」をかざして乗り込むと、バスはイオン隣のバスセンターを経由して、いよいよ南へ針路をとる。
168という数字はつまり、国道168号のこと。ここから新宮まで、この国道168号で一気に紀伊半島を縦断するのだ。

吉野川(紀の川)の支流である丹生川(和歌山県にも同名で紀の川に注ぐ丹生川があるのでややこしい)に沿い、
国道168号も曲がりくねって走っている。さすが国道、山地のど真ん中を行く道だが道幅はしっかりとられている。
しかしこのバスは路線バスなので、ときどき集落にあるバス停を目指して国道から脇の道に入るのだが、
これがかなり細い。細くて古びた道をしばらく行くと、また堂々たる国道に戻る。それをずっと繰り返すのだ。
また、厳しい地形ということもあって、あちこちで道路工事をしているのを見かける。台風のたびに崩れ、直し、
それを延々と繰り返す終わりのない工事。でもやらないわけにはいかないのだ。奈良県南部は土木天国だぜ。

  
L: 車窓から見た道路工事の様子。大変である。  C: 橋が3つ交差している光景なんて初めて見たよ。これ凄くないか?
R: 細い道から国道168号に戻ったところ。国道についてはかなり力を入れて整備しており、かなり快調に走れる。

五条駅を出て2時間弱、右手に何かが見えた。谷瀬の吊り橋だ。やがてバスは上野地という停留所で休憩時間をとる。
それが20分ということで、つまりは観光客に谷瀬の吊り橋を往復してくる時間を与えていると解釈できるわけだ。
ご存知のとおり僕は重度の高所恐怖症なので吊り橋なんざまっぴら御免なのだが、さすがに今回は好奇心が勝った。
むしろ20分しか猶予がないことで踏ん切りがついたのである。というわけで、谷瀬の吊り橋、往復してきました。

  
L: バスの車窓から眺める谷瀬の吊り橋。こうして見ると強烈である。  C: 吊り橋の入口付近から眺める。
R: いざ行かん! こうして見る分にはそれなりにガッチリしているように見えるんだけどね、足元がね……。

谷瀬の吊り橋は1954年に竣工したが、地元の住民が資金を出し合って建設した、まさに生活のための橋だ。
全長297.7mは、竣工当時日本一の長さだったそうだ。で、この橋の何がすごいって、幅が板4枚しかないのだ。
地元の人や郵便局員はこれをバイクで走るってWikipediaに書いてあるけど、もう頭がおかしいんじゃねえかと。
周りはガッチリと金網を張ってあるので気合いでどうにか渡ることができたけど、風があったらどうだったか……。

  
L: 足元こんなんですよ。でも十津川の吊り橋はみんなこういう構造。  C: 中間地点辺りで見た景色。
R: 対岸にたどり着いて振り返ったところ。日記を書いている今も手のひらにはじんわりと汗がにじんでおります。

時間内に無事にバスまで戻ることができてよかったよかった。出発したバスは集落を抜けて国道168号に戻る。
やはり道は川(十津川、和歌山県に入ると熊野川と呼ばれる)に沿って、延々とくねり続けるのであった。

 上野地郵便局の裏がバス停。集落の道はずっと坂道である。

やがてバスの窓から風屋ダムが見えた。気象庁の天気予報だと奈良県南部の地名は「風屋」となっていて、
なるほどこの辺りなのかと思うのであった。紀伊半島ってのは通ってみると本当に大きくて広いと実感する。

 風屋ダム。このダムの建設は国道168号の整備にもつながった。

やがてバスは十津川村役場を通過。素直にここで降りておけばよかったのだが、なぜか次まで待ってしまったのだ。
広い広い十津川のサイズを理解していなかったとしか言いようがない。まあ実際に歩いてみたかったんだけど。
で、けっこう揺られて「こりゃしまった!」と思いつつバスを降りると、北の役場を目指して歩きだすのであった。

 
L: まあ見事に山の中である。国道168号もこの辺までくると道幅が狭くなる。  R: ものすごいスラロームっぷり。

のんびり歩いていくと、対岸に集落が見えてきた。小原の集落で、中心には十津川第一小学校があるのだが、
対岸からだと山麓のわずかに緩やかになった場所に家々が貼り付くように点在しているように見える。
さらに進むと大きく曲がった十津川の内側に学校がある。これは十津川中学校。なんとも大胆な立地だと思う。
不思議なのは川の水の色で、ちょっとでも深くなると琳派の「たらしこみ」そのままに、日本画のような碧色を湛えるのだ。

  
L: 山と川に挟まれる小原の集落。  C: 十津川の大きな弧とその内側の中学校。
R: そのすぐ右手を見ると、村役場近くの集落が目に入る。そして川の色に目を奪われる。

村役場まで戻った頃にはだいぶ夕方の日の傾きぶりとなってしまった。光の加減に苦労しながら撮影する。
先ほどの中学校と同様、村役場も弧の突端にあり、川はここでしっかりとS字を描いているというわけ。
つまり道路がなかなかの鋭いカーヴとなっていて、少し角度をつけないと全体がカメラの視野に収まらない。
道を挟んだ村役場の反対側は歴史民俗資料館だが、これは一段高い場所となっており、後ろに下がれないのだ。
十津川は米が作れないというけど、本当に平地がないなあ!と思ったのだが、後で役場の裏側を見て驚愕した。

  
L: 十津川村役場。手前の道路がなかなかのカーヴだが、そういう場所じゃないとまとまった平らな空間にならないのだ。
C: 敷地内に入って近づいてみた。  R: エントランス部。村章はもちろん、十津川の象徴である「菱十」の紋だ。

  
L: 反対側から眺めたところ。  C: 歴史民俗資料館から見下ろしたところ。ふつうこの角度で撮れる役所はない。
R: 橋の途中から眺めた十津川村役場の裏側。地下2階分の高低差と張り出した駐車場に圧倒される。これはすごい。

道を挟んだすぐ向かいの歴史民俗資料館は、村役場をしっかり見下ろせるほどの高低差がある。
そして川の方にまわり込むと、実は村役場は川に面した崖に食い込むようにして建てられているのがわかる。
さらに壁面に棚を取り付けるようにして、崖の上に駐車場を確保している。十津川は本当に平地がないのだ。
先ほどの中学校も村役場も、蛇行する川の内側に建てられている。つまり、平地はそこにわずかにあるだけなので、
公共性の高い建物をこの貴重な平地に優先して配置しているというわけだ。これは本当に厳しい環境である。

  
L: 村役場の玄関。左は十津川のゆるキャラ・郷士くん。  C: 中に入って左を見たところ。ふつうの役場である。
R: 入ってすぐ正面。木材をふんだんに使って林業をアピールしている。確かにソフトな印象になるなあと思う。

せっかくここまで来たので、ぜひ勉強させていただこう!と歴史民俗資料館にもお邪魔した。遅い時間にすいません。
1階は世界遺産に含まれている熊野参詣道(小辺路)と大峯奥駈道の説明、明治の大水害、昔の暮らしについてなど。
そして2階は十津川郷士がメイン。有名人を輩出したわけではなく、村全体で一体的に動いていた点が特徴的だと思う。
実際に訪れていかに平地がないかを実感できると、十津川郷士の強いアイデンティティとタフネスぶりにも納得がいく。

  
L: 国道168号にて。左が歴史民俗資料館、右が村役場。かなり土地を削って役場のための平地を確保したのがわかる。
C: 歴史民俗資料館を見上げる。  R: 1階、昔の暮らしについての展示。これはまあ全国どこも似たようなものかなと。

最終便のバスが来るまでの時間は、役場からすぐ近くにある道の駅 十津川郷でのんびり過ごす。お土産を見たり、
足湯に浸かったり。足湯はここから近い湯泉地温泉から引いているのか、かなり硫黄の匂いが強くて効きそう。
さっき役場前でバスを降りておけばそっちまで浸かりに行く時間があったかもしれないなあ、と思うのであった。

  
L: 道の駅 十津川郷。正面側はなんのことはない建物だが……  C: 裏手を見たらやっぱり超がんばって建っていた。
R: バスに揺られつつ十津川高校付近で振り返ったら虹が出ていた。十津川にものすごく歓迎された気分である。

バスは十津川温泉で10分間の休憩。奈良交通の営業所があり、十津川における交通の拠点となっているようだ。
十津川で宿泊しようとすると、この十津川温泉の周辺が最も充実しているようである。当然、できる限りで散策する。

  
L: 十津川温泉。右の方でバスが停まっているが、ここが奈良交通の営業所。道路沿いに商店も点在。
C: 営業所から役場方面を眺める。  R: 奈良交通の営業所の中はこんな感じ。なんだか落ち着くぜ。

  
L: いい機会なのでバスを撮影。大和八木から新宮まで経由する自治体のゆるキャラがラッピングされている。
C: 新宮市「めはりさん」、田辺市本宮町「八咫之助・八咫姫」。田辺市旧市街には「たなべぇ(→2013.2.10)」がいるもんな。
R: 十津川村「郷士くん」。五條市「ゴーカスター」は上述の「ゴーちゃん」と「カッキー(旧西吉野村)」「星博士(旧大塔村)」のユニット。

  
L: 御所市「ゴセンちゃん」、葛城市「蓮花ちゃん」。  C: 大和高田市「みくちゃん」、橿原市「さららちゃん」。
R: 後ろには和歌山県「きいちゃん」、そして奈良県「せんとくん」。日本は完全にゆるキャラの国だ(→2013.9.30)。

18時半を過ぎ、バスは十津川温泉を出発する。5分ちょっとで、だいぶ規模の大きい建物であるホテル昴に到着する。
本日お世話になる宿はここから徒歩圏内なので、下車して山の中の道をのんびりと歩いていく。見事にひと気がない。
道は十津川の支流に沿っているが、途中で面白いものを発見した。「野猿(やえん)」である。とんねるずは関係ない。
野猿はかつて川を渡るのに使われていた装置で、要するに滑車のロープを自力で引っ張って移動する仕組みである。
せっかく十津川に来ているんだから、と挑戦。空中のど真ん中で景色を撮るなど、独りでやりたい放題をして楽しむ。
なんとか往復して戻ってきたときには、もう腕はパンパンなのであった。これは思った以上に鍛えられる装置である。

  
L: 野猿。この中に入ってロープを引っ張ると前に進むという仕組み。  C: ど真ん中の辺りで川を眺める。
R: 対岸を振り返る。往路ですでに腕が痛くなっており、これからこの距離を戻らなくてはいけない現実に愕然とする。

まあ野猿で遊んでいたのはなんだかんだで10分足らずだったが、そこからさらに山の中へと入っていくこと10分、
無事に本日の宿に到着したのであった。ところが宿の方によると、僕が野猿でウホホホーイとアホ面で遊んでいる間、
ホテル昴まで迎えの車を用意していただいていたそうで、たいへん申し訳ないのであった。僕は徒歩に慣れているけど、
十津川は山の中だからということで配慮してくださったのである。小笠原のときもそうだったけど(→2012.1.2)、
われわれが非常にアクセスしづらい場所で生活している人は、遠路はるばる訪れる価値を知っているので客に優しいのだ。

十津川で宿泊する場所はいろいろあるけど、今回選んだ宿の最大の決め手は温泉である(あと正直、値段もある)。
満点の星空を眺めながら温泉に浸かることができるという触れ込みで、それはもう本当に最高でございました。
紀伊山地の急峻な山々で光が遮られるため、十津川の星空は非常に純度の高い美しさなのだ。時間を忘れて浸かる。
もともと目が悪いので、コンタクトでも星粒ひとつひとつをしっかり見ることができなくて、それが悔しくてたまらない。
友人たちの顔を思い浮かべつつ、こんな最高に楽しい経験を一人で味わっちゃってすいませんな、と思うのであった。
この日記を読んでいる皆様は、ぜひ十津川を訪れてほしい。温泉に浸かって星空を眺め、日本の広さを感じてほしい。



2017.7.9 (Sun.)

何の予定も入っていない休日というのは本当に久々という気がする。それくらい夏季大会は大変だった……。

朝は日記を書いて、昼前に出光美術館でやっている『水墨の風 ―長谷川等伯と雪舟』を見にいく。
特に詳しいというわけではないのだが、水墨画は好きなのだ。等伯と雪舟なら、もう無視できないわけで。
通信教育の学生証を見せて入館。最近の美術館ブームは「元を取ろう」という貧乏根性の現れでもある。

全体はいくつかの章に分けてあったのだが、第1章が雪舟で第2章が等伯。いきなり!クライマックスである。
しかも展示の最初が玉澗、次いで雪舟『破墨山水図』、そこから牧谿という並びで、もうこれでいいんじゃねえかと。
第2章では、等伯が日本にいない叭叭鳥を描くかわりに『松に鴉・柳に白鷺図屏風』でカラスを描いたことから、
水墨画の日本化をテーマとする内容。その後は室町時代の水墨画、江戸時代の水墨画へと進んでいく。

感想としては、「水墨の風」というタイトルだけど、風を感じさせるまとめ方ではなかったなあといったところ。
雪舟も等伯も作品点数が少なくて不満。まあどっちもたっぷり持ってくるのが難しいビッグネームではあるが。
上記のように最初からフルスロットルすぎて、尻すぼみ感がかなり強いのもまた残念なところである。
雪舟も等伯もあんまりないし、それ以外にもこれといったものがないしで、かなりの期待はずれだった。

本編よりも興味深かったのは、陶片室。それこそ縄文土器からアジア各地の陶片が自由に見られる仕組みなのだ。
陶片ということで完成品と違い、どこか気楽に眺められるのがいいのかもしれない。また、純粋な美術というより、
科学の目での観察に切り替わるのも面白い。土器が土師器・須恵器へと進化し、釉薬を使った陶磁器となる。
考えてみればその変化はけっこう劇的なものがあるのだが、あまりきちんと勉強してこなかったように思う。
そして海外との交易で長らく大人気だった中国製に対し、伊万里がヨーロッパに渡るようになったり、
鍋島藩直営の焼き物が献上品として生産されたりと、政治や経済との関わりが見えて楽しませてもらった。

あ、ルオーは嫌い。根暗・ヘタウマ・宗教画と、苦手の三冠王ですわ。



2017.7.7 (Fri.)

将棋ブームなようで。世間では藤井四段と「ひふみん」こと加藤一二三九段が人気の双璧となっているが(あと勝負メシ)、
もちろんお二人とも本当にすごいんだけど、僕としてはどちらかというと対戦相手やその周りの方に興味がある。
いろんな棋士たちのいろんなエピソードにいっぱい触れられるのが楽しい。このブームをほっこりと眺めております。

もともとのきっかけは電王戦の時期に遡る。マサルに誘われてニコニコ超会議まで行ったもんね(→2014.4.27)。
(その前年には天童に行って天童駅に併設されている天童市将棋資料館にも行っているもんね(→2013.5.12)。)
マサルも僕も将棋はできないんだけど(僕は金将と銀将の動きがいまだに覚えられない。成りとかもう無理だ)、
結局は棋士が面白いのだ。もう皆さん個性派すぎて。キャラが濃すぎて。そこをマサルと面白がっていたわけだ。
それ以来ちょこちょこと知識を仕入れていたので、どんな棋士がどんなふうに面白いかはそれなりに知っているのだ。

しかしこうして藤井四段ブームが起きたりひふみんブームが起きたりすると、マサルの先見の明に脱帽せざるをえない。
僕からすると完全に、時代がやっとマサルに追いついたって感じなのよ。棋士が個性的で面白いのは当然でしょ、と。
猛烈に頭のいい人が意図したり意図しなかったりで変なことをやっていたり常人離れした凄みを見せつけたり。
しかし根底には当然、面白さ満載の将棋という完成された競技がある。やはり頭脳ゲームは高度なスポーツなのだ。
だからいちばん面白いのは試合そのものなのである。僕もブームに乗っかって、いつか将棋を観戦したいと思っております。
サッカー観戦もいいけど、将棋観戦もいいよね。そうやって楽しめる要素がどんどん増えていくのが幸せってことよ。



2017.7.1 (Sat.)

主に部活のせいでなかなか週末が自由にならないのだが、どうにか隙を見て美術鑑賞の時間を確保する。
世田谷美術館でやっている『エリック・カール展 The Art of Eric Carle』が明日までなので、意地で行ってきた。

9時半までは用賀の世田谷ビジネススクエア内にあるカフェでこないだの旅行の写真を整理して過ごす。
そうして開館時刻の10時よりちょっと早めに着くように雨の砧公園を突っ切ったのだが、すでにすごい行列。
後で知ったのだが、世田谷美術館はJリーグのQRチケットと同じような要領でチケットの発券手続きができるみたい。
ストレートに入館を待つ列に並ぶみなさんを横目に見つつ、チケット販売の列に並ぶのであった。うーん情報弱者。
客層は圧倒的に小さい子どもを連れている人々で、どうやら絵本を読む感覚で展示を見ていっているようだ。
純粋に美術鑑賞したいこっちとしては、「だったら絵本でいいじゃんー」と言いたい。混雑を助長しないでよ……と。
しかし土日に来ておいてそれはワガママな欲望でしかない。会期終了間際ギリギリに来る方が悪いのだ。トホホ。

親子連れの長い列の隙をうかがい、じっくり見られるところからヒョイヒョイ見てまわったのだが、非常に面白い。
今回じっくり見てなるほどと思ったのだが、エリック=カールは貼り絵の人なのだ。レオ=レオニがちぎるのに対し、
エリック=カールはトレペ(トレーシングペーパー)に色を塗ったものを切って貼っていくスタイルである。
その切ったパーツのつくり方がまず上手い。動物の体節や水の流れなどが的確に表現されている。動きに忠実なのだ。
そして何より、原色の鮮やかさを活かしながらも少しずらして自分の色にしていく、その色彩感覚が抜群にいい。
この2つのオリジナリティから独自の作品を生み出していくわけだ。少しばかりゲスな感想で申し訳ないのだが、
「なるほどこれはお金になるわ!」と思いながら作品を見ていった。絶対に売れる作家だな、ということ。
エリック=カールはブラウエライターあたりのドイツの美術運動(まあつまりバウハウス一歩手前って感じ)から、
かなり大きな影響を受けたそうだ。そこにアメリカの明るさを組み合わせて作風を成立させたということだろう。
どこか暗ったい美術運動からスタートし、絵本という分野で「売れる」自分の居場所を確立した感性に脱帽である。

ミュージアムショップにはこれといった品物はなかった。そもそもが、特設の売り場じたいがわりと小規模。
世田谷美術館はそっちでガッポリ稼ぐつもりはないみたい。せっかくのエリック=カールなのにもったいない。


diary 2017.6.

diary 2017

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